分析対象が産業・企業から個人へと

 
前回の記事で、経済産業省で行われたワークショップでRichard Baldwin教授の話を紹介しましたが、この話は非常に示唆の富んだ話だと思います。
 
もう一度繰り返すと、1980年代中頃までは、グローバリゼーションと言うと財の輸送コストの低下に伴う貿易の自由化を意味していたのに対し(第一次のグローバリゼーション)、80年代中頃以降は、工場の国際移転やアウトソーシングによる企業内の事務やサービス業務の国際移転の進行を意味するようになってきており(第2次のグローバリゼーション)、このため、以前ならば、産業や企業を対象にした政策(貿易政策や産業振興策)がその国の経済成長や発展を考える際に必要とされていたのに対し、今後は、労働者の個々人に対する政策を重視しなければならないということです。
 
大学で習う基本的な国際経済学(リカードモデルやヘクシャー=オリーンモデルなど)は、第一次のグローバリゼーションに対応する学問です。その場合の国際分業というのは産業間貿易や産業内貿易といったものであり、戦略的貿易政策のように寡占企業の行動に注目したものもあるとは言え、基本的には産業単位や国民全体の経済利益について焦点を当てたものでした。国内の所得分配について触れることはあっても、それは資本家と労働者、もしくは見熟練労働者と熟練労働所といった大雑把な分類の下での所得分配でした。
 
しかし、第2次のグローバリゼーションの中では、同じ産業・企業の中でも業務や個々の労働者ごとに勝ち組・負け組が分れるようになってくるために、従来の貿易政策(輸入関税政策や輸出補助金政策)を用いて産業全体を支援すれば、全員が利益を得るといったことは期待しにくくなっているというわけです。
 
こうなると、国際経済学も従来の産業・企業単位だけでなく、個々の労働者に焦点を当てた分析手法も考えなければならなくなると言うことでしょう。
 
企業単位の分析に関しては、独占的競争の研究分野において各企業の異質性を考慮した理論モデルの構築が進んでいますが、同様に個々の労働者の異質性も考慮した理論モデルの構築も今後はどんどん進んでいくものだと思います。
 
例えば、以前紹介した移民と先住民が業務ごとに比較優位を持つ分野を担当するようになっているというような研究はまさにそうですね。
 
そんなこと、自分が国際経済学を勉強し始めた頃には考えられなかったなあと時の流れを感じながら、今日はこの辺で
 
今日の一枚
 

虎の穴

虎の穴

 
以前、友達に紹介してもらって買った、ロックバンドGo!Go!7188によるカバーアルバムです。「恋の奴隷」や「ひと夏の経験」などちょっとやばめな選曲もさることながら、「妖怪人間ベム(インスト)」や、「ペッパー警部」などなかなか渋い選曲をしてくれます。演奏は3ピースバンドならではの勢いのある演奏を聞かせてくれます。彼らのアルバムはこれしか持っていないのですが、なんかついつい手が伸びてしまうアルバムです。今度オリジナルアルバムも買ってみようかな。